信越五岳DNFの歴史
4回目の挑戦で、やっと完走できた信越五岳のことを覚えているうちにブログにまとめようと思いつつ、もう12月になってしまった。ちょうどブログのネタが尽きてしまったので、このタイミングで書き始めることにする。その前に不名誉なDNFを繰り返した2015年〜2018年(2017年はボラ)のことを振り返ってみよう。
2014年 斑尾50キロをギリギリ完走
信越五岳に憧れを持ち始めたのは、vimeoで公開されていた動画を見てからだと思う。2014年の斑尾(50キロ)をギリギリで完走した僕は、次の目標を信越五岳を完走することに決めた。それまでで最長だったのは、霧島・えびの高原エクストレイルトレイル2014(60キロ)。信越五岳は110キロなんで、斑尾と霧島えびのを足した距離である。いま思うとホントに考えが甘いのだが、とにかく2015年から長い挑戦が始まった。
※今回のブログには、大会公式サイトに公開されている写真を引用しています。さすがに良い写真ばかり!なんだけど、写っているのは僕ではございません。
信越五岳トレイルランニングレース | http://www.sfmt100.com/
2015年 初めてのチャレンジ
2015年の挑戦は、自宅マンション(当時は都内在住)の階段での秘密特訓で、1ヶ月前くらいにハムストリングスを肉離れしてしまい、直前まで治療のために走れなかった。結局、完治しないままスタートすることに。
更に序盤7〜9キロくらいで地蜂に刺され、信越五岳の洗礼う受けまくる。40キロくらい関川の前半の掛け水ポイントで「この先に進んでも黒姫に間に合わない」と自分でDNSを決めた。ペーサーと合流できないなんて前代未聞だ。お願いした年上の友人に申し訳なかった。
2016年 2度目のチャレンジ
「前年は怪我があったから」そう思い込むことにして、翌2016年に2度目のチャレンジを決行。打たれ強いのか、記憶力が悪いのか。
前年の反省を活かし、友人とナイトランを行ったりして、それなりに準備をした「つもり」だったが、信越五岳の壁は高かった。そもそも前年40キロでDNFした人間には、信越五岳の壁がどのくらい高いのか?なんて分かるはずもない。斑尾山に袴岳、スリッピーな路面にタイムロスを積み重ね、黒姫の林道を登りきったところ56キロくらい?で足切りとなった。結局、この年もペーサーに会うことなく終わった。
余談ではあるが、当時使っていた携帯キャリアの問題か場所柄なのか、足切り後もペーサーに連絡がつかず、いつまでも待っててくれてるんじゃないか?と不安になった。
2017年 ボランティア
この年は、冬の間は走ってなかったし、もはや完走できる気もしなかった。ならば、自分が(DNF×2回で)散々お世話になった大会のボランティアをすることにした。初の100マイルが追加された2017年大会だったが、台風接近によりレースは大幅に短縮され、黒姫あたりまでに短縮された。後半の戸隠あたりで誘導をする予定だった僕の出番はなくなり、台風一過後に、使われなかった誘導看板を回収するだけが任務となった。
2018年 3度目のチャレンジ
大したことはやってないんだけど、前年のボランティアによる出場権をもらえたので、2018年に3度目のチャレンジを決めた。今回のペーサーは、福岡の頃からの友人にお願いした。友人は大会直前に勤め先(パタゴニア広島店)のグランドオープンを控えていたが、同僚の皆さんが快く送り出してくれたとのこと。良い職場だ。完走することで、その恩に報いたい。
3回目の挑戦、2年ぶりのレース、前日から落ち着かず、夜中にちょっとした物音で何度も目が覚めた。2014年の斑尾以来、信越五岳しか出場しておらず、しかもDNF続きで、グースカピーなほうがおかしいと思う。スタート前の段取りも悪く、トイレからスタートに直行した。
2018年は暑くもなかったし、雨も降らなかったし、水たまりは多かった気がするけどコンディションは悪くなかった。コース上で友人に会う度に元気になれた。吊り橋渋滞で30分以上ロスしたのは予定外だったけど、ついにペーサーの待つ笹が峰(5A)に辿り着くことができた。とにかくホッとしたのを覚えている。
その後30キロくらいは全然走れなかった。いま思うと、笹が峰(5A)がゴールみたいな感じだったのか、そこで休み過ぎたのもダメだったのか、とにかく、少ないマージンはあっという間に無くなり、大橋(8A)エイド前から復活して走り続けたものの、時既に遅し。93キロの戸隠(9A)に61秒間に合わず、そこで僕らの信越五岳は終わった。
結果としては、これまでと変わらないDNFだったものの、初めてまともに走れたのが2018年大会だった。大橋エイドから走り続けることができ、出し切った満足感があった。結局、憧れの信越五岳を完走することは出来なかったけど、これでチャレンジは終了!と、この時はホントに思っていたのだが、結局翌2019年に最後の最後の挑戦をすることになる。