2019年の信越五岳まで、あと2ヶ月をきった。きってしまった。これまでの準備具合としては「まあまあ」といった感じ。大きく不足している気もしないけど、決して満足できるものでもない。というより、どんだけ走り込めば「準備万端」と安心できるのだろう。結局のところは不安ってのは直前まで消えることはなく、本番直前になって「これだけやってきたんだから、きっと大丈夫なハズ」と思い込むというか、気持ちを切り替えるしかないのだろう。
もう10ヶ月ほど前になってしまったが、今年のタイムスケジュール的なことも考えるべく、2018年の大会の復習?をダラダラと書いてみよう。各タイムなどは全てストラバのログから。
スタート前後
スタート前は、2年ぶりの大会参加ということもあり、非常に緊張していた。テーピングは前日にニューハレブースで貼ってもらい、斑尾高原ホテルが早目にチェックイン出来たので部屋で休む作戦。夜中は緊張のためか何度も目が覚めるし、スタート前も朝食会場にザックを置いたままトイレに行って、順番待ちで戻ってこれずペーサーを勤める友人がザック一式を持ってきてくれて、そのままスタートに向かうなど、段取りの悪さ抜群だった記憶があり。
スタート後のことは、あまり覚えていないが、写真を見返すとウエアはパタゴニアのナイントレイルシャツ半袖に、同じくパタゴニアのストライダープロショーツの組み合せ。写真を見る限り、曇っていた模様。とにかく序盤は抑えて抑えてって感じで、2015年に蜂に刺された7〜9キロ地点前後あたりは特に緊張して走ってた気がする。
1A(菅川19k)〜2A(バンフ24k)
なんでもないゲレンデと林道区間の1Aまでで最も緊張するのは7〜9キロあたりの区間に出る蜂。
ログで見る限りウォーターエイドである1Aには3〜4分ほど止まっている模様。トイレに行った記憶はないし何してたんだろう?その後の斑尾山の登りは確か「こんなにキツかったかな?」とか思いながらクリアした気がする。
2018年の斑尾山は登りも下りもドライで、渋滞もなく2Aバンフに辿り着き、出迎えてくれた仲間に「順調だね!」と褒められた記憶がある。2Aは7〜8分止まっていたっぽい。これまた何してたんだろう?
2A(バンフ24k)〜3A(熊坂39k)
袴岳の記憶は無いけど、登りは斑尾と同様に意外にキツかった気がする。そして袴岳の下り(前半)は以前と同様に抜かれまくった記憶が。ここまで少しあった貯金は、この辺で全て使い果たしたと記憶している。
林道区間になって、暑さで顔を洗いたかったのか(たぶん)林道の脇に流れる小さな水場に近づいたところ泥にハマりシューズがドロドロになって気持ちが一気に落ちた記憶あり。この林道の途中でペースの合う女性ランナーさんと一緒になり、少し話しをしながら3Aを目指した記憶がある。3Aに到着したのは、予定してたタイムより少し遅れていた気がする。冷やしトマトとコーラが美味しかった記憶。滞在時間13分程。
3A(熊坂39k)〜4A(黒姫52k)
3Aで同じ110キロを走っていた友人に出会い関川を一緒に走った。走るのと歩くのでは完走に大きく影響するという関川沿いの約6〜7キロのダラダラ道を走れたのは大きかった。3Aで友人に出会えたことに感謝。
宴会隊エイドでは100マイルに参加していた別の友人にも出会えた。レース中に仲間に会えるのは非常に元気になれる。宴会隊エイドには6分ほどいた模様。こうやって、後で見返すと止まり過ぎだよな。
関川後の4Aまでは、比較的走れるハズのシングルなんだけど殆ど走れなかった。ここでも100マイルを走る友人達が抜き際に声をかけてくれた。一瞬元気になるけど、着いて行くことはできない。走ってもせいぜい1分とかそんな感じだった気がする。脚(どこかは覚えていない)に痛みも感じながら4Aに到着。
4Aは、逗子葉山の仲間が来ていて、予定外に長居してしまった気がする(12〜13分)。このあとの林道はどうせ歩くんだからドリンクだけ補充して、食べ物持ってすぐに出て行くべきだった。
4A(黒姫52k)〜5A(笹が峰63k)
林道の登りは予定通り歩く。長い歩きなので、モバイルバッテリーで時計(スントスパルタンウルトラ)を充電。余裕をもって5A笹が峰に到着できそうだと思っていたら、テクニカルな下りの先に結構な人数の吊り橋渋滞が見えた。関門に間に合わないってことはないだろうと思っていたので慌てることはなかったが、それでも結構な時間(30分以上)待って吊り橋を通過。その後の直登をクリアした後のキャンプ場区間が想像より長かった。この辺もあまり走れなかった記憶あり。
笹が峰に着いてペーサーに合流。とにかくホッとした。段取りが悪いのと居心地の良さで笹が峰でも30分ほど滞在してしまった。後で友人に言われたのが「吊り橋渋滞で休めたでしょ!なんで30分もいるのよww」って。確かにその通りで15分くらいで収めるべきだった。ただし事前の準備が出来ていないと、50〜60キロ走ってきた頭ではテキパキと考えることはできない。
前半のエイドは、1A-3〜4分、2A-7〜8分、3A-13分、宴会隊エイド-6分、4A-12〜13分、5A-30分、合計すると60分強。これに吊り橋渋滞でのストップが30分で、合計90分以上。見返すとこの辺のロスを減らすのが大事だと良くわかる。
5A(笹が峰63k)〜6A(西登山道入口76k)
笹が峰を出てペーサーと合流したせいか、一気に甘えが出ちゃったみたいで全く走れなくなった。笹が峰を出て間もないキャンプ場エリア内で、10分ほど止まって脚をほぐしてみるも、その後もしばらく歩きっぱなしだった。このエリアは走れる区間だったけど、全く走れず、いや走ろうとしなかったのか、辞めたいという気持ちが芽生え始めていた。
6A(西登山道入口76k)〜7A(大橋林道81k)
6A後のベチャベチャの登りで転倒、片側の腰がドロドロになり、既に折れていた気持ちは粉々になった。
下りに入ると脚のどこか(たぶん膝?)が痛くて前に進めず。辞めたくて辞めたくて仕方ない。我がペーサーはワザと距離を空けて弱音を聞かないようにしていたらしい。
どうにも痛いので半分ほど下った頃に痛み止めを飲む(※痛み止めのリスクは自己責任で)それから30分ほど経った頃、下りが終わり平地に変わる2-300メートル手前で「走ろう」と促され、随分前を走って行ってしまったので嫌々走り始める。痛み止めを飲んだにも関わらず、それなりに痛くて、上手く走れなかったのを覚えている。
7A(大橋林道81k)〜8A(戸隠スキー場93k)
ガンバフンバ君に「結構マズいボーダーにいると思うので走って」とアドバイスを受け、ペーサーの同僚の人が補給などを手伝ってくれて、気持ちを前向きに切り替えることが出来た。
少し前に飲んだ痛み止めも効いてきたんだろう。そこから急に元気を取り戻し走る!戸隠までの12キロは最高に楽しかった。途中で内臓トラブル(たぶん)で立ち止まっていた100マイルの友人も合流、一緒に走り始めた。
恐らく90キロ地点を過ぎた辺りで、走りながら「これ間に合わないんじゃね?」という計算が出来てきた。とはいえ、これ以上は無理。キツい登りはない区間、とにかく歩かないことだけ意識して進む。8Aの戸隠っぽい明かりが見えたところでスパート!したものの、全然届かず61秒遅れでアウト。我々の信越五岳が終わった。
最後は走れたので達成感はあり、もちろん反省もあり
61秒遅れということで、距離にして150メートルくらいだろうか?とはいえ、間に合っていたとしても残り3時間半でフィニッシュまで辿り着けたかというと、かなり難しかったと思う。
大きな反省点は、各エイドでのロスタイムが多かったこと。特に1Aと2Aなんて、それほど疲れてないんだから、合計5分くらいに留めるべきだった。吊り橋渋滞という予想外の自体があったのだから、5A笹が峰も素早く出て行くべきだった。エイドで長居し過ぎた時間を走って取り戻すのは難しい。
ペーサー合流後の5A〜7Aまでの区間を全く走れなかった(しかも立ち止まること多数)ことは単純に根性と走力が足りないんだろう。
2019大会でフィニッシュするためには、当然それらの反省を活かすことが大事になる。